井上正康氏に「運動団体」を作るべきだと囁いている
者がいるが、わしは「運動団体」は作らない。
薬害エイズ運動と、教科書運動で、「運動」に関しては
燃え尽きた。
「ゴー宣道場」は運動団体ではない。
「議論」を公のためになる見解にまで高めることを楽しむ
場であり、民主主義の基盤となる「個」の連帯を信条と
している。
思想することを止めたら畜群に落ちる。
だから「公論」のための道場になるのが「ゴー宣道場」だ。
門下生や読者はわしに必要な情報を次々に報告して
くれて、わしに合体して来てくれる。
小林よしのりはだから「合体ロボ」だと言っている。
運動体をつくると、コロナやワクチンに対する考えは
少しづつ違っているのに、読売新聞のように権力の
広報誌は「反ワクチン派は全てデマ」という括りにして、
レッテルを貼って一気に葬る戦法をとる。
教科書運動で、左翼にいつもこれをやられて、大変
だった。
「大同団結」をすれば、わし自らが権力にデマ認定
される罠に飛び込んでいくことになる。
わしは「個人」としての存在の大きさを人々から認め
られていると思っている。
わしは「個人」の方が輝く!
いくら権力がわしにデマ・レッテルを貼ろうとしても
不可能だ。
わしがデマを憎む存在だし、わしが迂闊にもデマを
言ったとしたら、潔く謝罪する。
個人のプライドなんかどうでもいいからだ。
デマではないのに、デマ認定したら、公開討論で
決着をつける!わしが負けてもいいのだ!
その姿勢を保つためには「個人」の方が動きやすい。